命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
病める社会の病める恋愛?(3)
 これも先日クリスチャン男子大学に教えていただいたことで、前回と関係している当世恋愛傾向。それは「セツナ系」と呼ばれるジャンルの歌が支持されることについて。「セツナ系」とは「切な系」と表示されたりしますが、こちらの説明よれば、失恋、片想い、純愛などにおける「切ない感情」を歌詞としてR&B計の音楽に乗せてたものらしく、10代後半女性から支持されているようですね。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%BB%E3%83%84%E3%83%8A%E7%B3%BB

 こういうの最近は多いですし、ヒットしますね。何も新しいわけではなく、演歌でもフォークでもこういうタイプの歌詞は昔からあります。いつの時代も普遍的に恋愛にまつわる「切ない歌詞」は共感を得るもの。でも、これまでとの違いは、どうも、「恋愛における切ない感情自体が自己目的化しているのでは?」と思えることです。

 10代後半は、恋愛経験はそれなりにあっても、人格的未熟さから、どうしても、恋愛者は自己感情中心になってしまいますね。相手より自分、客観的観察より自己感情、関係構築より感情満足、そうした恋愛では、「切なさ」の感情が自分の中で大きくなりがち。行き過ぎてしまうと、切ない恋愛をしている自分に酔いしれて自分を見失ったり、切ない感情自体に恋愛の意味を見出したりしかねません。

 そうなると「自分を極度に客観視できない危険な恋愛者」になったり、「切なくなければ恋愛ではない」という安定安心型恋愛放棄者となってしまいます。10代後半の恋愛はこうした危険要素や不健全要素がいっぱいなものです。堅いと言われるでしょうが、だからこそ、10代の恋愛は、大人が見守ってあげることの大切さを思います。

 20代に入ってこうした恋愛傾向を卒業して、人は成熟し、社会参加や結婚に向かうのでしょう。もし、30前後になっても、本気でこうした「セツナ系」に共感し、感情移入し、(ここまでは社会的許容範囲ですが)さらに自分の実際の恋愛まで、「切ない感情至上主義」だとしたら、それは病的かも?

 「切ない感情体験自体を目的とする恋愛

 それは、確かに未熟さと危険を伴いますが、成長期の恋愛者が成熟に向かう際の過渡的な恋愛傾向としては、許容範囲かと思うのです。また、多くの恋愛者が通過すべきプロセスなのかもしれません。

 しかし、これを卒業して、大人の恋愛者にならないと、困ります。なぜなら、結婚生活は「セツナ系」ではないからです。むしろ「安定安心満足系」であります。これに充足感をもてず、セツナ系を求めてしまうとどうなるでしょう?

 そう、結婚後のセツナ系は不倫であります。いわゆる不倫行為に至らなくても、既婚者が伴侶以外を恋愛対象とするなら、それが片想いのレベルでも、純愛と当人が呼べるものであっても、やはり、契約違反であり、安定幸福を破壊するもの。

 神様は私たちが、セツナ系恋愛や不倫において、切ない感情にもだえて快感を得るために、恋愛や性を与えられたのではありません。夫婦が安定した愛の絆に結ばれて共に生きる結婚の恵みを与えようと、神様は人類に恋愛と性を与えられたのですから。


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 15:50 | - | - | - | - |
病める社会の病める恋愛(2)
 先日、ある教会で男子大学生のクリスチャンから、最近の恋愛傾向を教えていただきました。それにはちょっと驚いたのです。

 何と、最近の恋愛傾向としては「平穏無事に進行していく恋愛に不安を抱く」恋愛者が増えているのだとか!

 つまり、「大きな問題や危機などがないと、いけない」と思うのだとか・・・。

 交際をして、お互いをよく理解できて来る、ちょっとした喧嘩や行き違いはあっても、概ね順調に進行していく恋愛。こういうのは芸能人の記者会見なら「順調によいお付き合いをさせていただいています」と笑顔で報告すべきことでしょうに。当人二人も周囲も「よかった」との評価でしょうに。

 こうした恋愛者の心情が全く理解できないので、その学生に尋ねました。
「交際が順調なのに何が不安なの?」

「大きな試練や危機が来ないのが不安なんです。そういう波乱万丈が起こるのが恋愛だと思っているようです。」

 ますます不思議であります。「大きな試練や危機が来ないかと心配」ではないのです。「大きな試練や危機が来ないことが心配」なのですから。

 よく聞いてみると、どうも、「自分たちの恋愛が、ドラマや映画のように進行しない、切なさや葛藤を実感できない、こんな平穏無事な恋愛でよいのか?」との不安なのだそうです。

 つまり、イメージ通りの好ましい恋愛は、「二人が交際するけど、前の彼氏や彼女が出てきたり、事故や問題が起こってすれ違ったりして、切ない思い、深い葛藤をして、そんな自分がまさに恋愛をしているという実感を得るような恋愛」なのでしょう。

 テレビや映画などの架空の恋愛がモデルになり、現実のその通りにならないと恋愛実感がなく、不安だということらしいです。このことを図式化するとこうなるでしょうか?

テレビや映画のような恋愛その通りの恋愛をするこれで恋愛実感をして安心満足

 これって、本末転倒なのでは?架空が現実に先行していますから。現実を架空の通りに合わせてそれによって現実感を味わうとは、やっぱり、これって病める社会の病める恋愛なのかなー?と思ってしまいます。

 「そんなドラマみたいな恋愛あるわけないだろー?」「何子どもみたいなことを・・・」、少し以前の大学生程度の年齢なら、そうしたことは、心得ていたと思うのですが・・・・。

 多分、こうした恋愛者の目標は、恋愛実感の獲得だろうと思うのです。そのことは明日、記しましょう。

 今日、考えたい事は、こうした恋愛が「成熟拒否型恋愛」であるということ。いつも、申し上げておりますとおり、恋愛は結婚の準備体操です。恋愛の達人でも、結婚の失敗者になってしまっては、どうかと思うわけです。それは準備体操名人で試合に負っぱなしのスポーツ選手のようなもの。聖書におけるその代表はサマリヤの女でありましょう。

 恋愛が順調に進み、結婚までの段階としては相互理解や不一致調整も進み、切なさや葛藤も減り、安心して二人で歩める恋愛。その恋愛は二人が共に人生を生きている結婚へと結びつくでしょう。こういうのが成熟した大人の恋愛だと思います。また、聖書的な結婚観から見てのあるべき恋愛の姿かなー?と考えますが、どうでしょう?

 「恋愛における平穏無事不安症状
これって病んでいるのでしょうか?それとも正常な範囲での時代精神の反映なのでしょうか?「成熟拒否」と判定するのはちょっと厳しいでしょうか?


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 23:28 | - | - | - | - |
病める社会の病める恋愛?(1)
 以前、私自身が書評を書かせていただいたこともあり、本ブログでは勝本正實先生の著書「病める社会の病める教会」を紹介させていただきました。

http://blog.chiisana.org/?eid=1407667


 そこで、考え付いたのが「病める社会の病める恋愛」であります。人間の心や人格に病理をもたらしやすい現代社会であります。その影響は当然、恋愛の分野にも反映されるわけです。

 以前、中学の卒業式が近づいた頃、中二の娘に尋ねました。

「今でも、男の子の学生服の第二ボタンをもらったりするの?」

 それに対する娘の応答はまさに驚愕の返答でありました。

「卒業生の男の子たちは、みんな、自分で第二ボタンとっちゃうんだよ

「何じゃそりゃ!」と松田優作のごとく驚愕してしまいました。

 
 卒業式終了後に、自ら制服の第二ボタンをとってしまう男子生徒ら・・・・それが意味する事は?

 まず、思った事は「勝負から逃げている!」
それ以上に「傷つくことを恐れているのか?」
やはり、これは「自己保身か?」きっと、「残念な現実に向き合う苦痛の回避」なのだろうか?
いや、もしかするとこの行為によって、恋愛格差が生じないのだから、これは、「恋愛格差平等化システム」なのか?これで、もてる男も攻撃されず、もてない男も妬む醜い自分を見なくて済むわけであります。

 そこで、おじさんは思うわけです。「でも、これって少し病んでないかなー?」

 まあ、病んでいるというのは言いすぎでしょう。でも、少し心配なのです。

 現実社会は恋愛格差すごいわけです。その社会参加の準備として、中学校生活を送っているのですから、厳しい現実も受け止めていかなくては・・・などと思うのです。

 「みんな平等で誰も傷つかなくて済む社会システム

 どうも、これはこの時代、この社会に最も好まれるシステムかとも思うわけです。

苦しんででも、大きな目標を得ようとしない精神性
傷ついてでも、現実を受け止めて乗り越えていくたくましさ
厳しい競争に打ち勝って、よりよいものをゲットしようとする向上心。

 
それらを失いつつある世代の恋愛スタイルなのかー?とも考えてみたわけです。一時代の精神性の現われにすぎなければ、いいのですが・・・。

自ら第二ボタンをもぎとる男子中学卒業生
この現象が病める時代の病める恋愛でないことを願います。
 


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 21:14 | - | - | - | - |
「年齢7掛け説」と「高校生の性体験」
 一昨日の金曜は、なぜか某大学にお招きいただき懇親会。そこでもお聞きしたのは、「年齢7掛け説」。大学の先生たちからよくお聞きする説ですね。40代や50代の大学教員が、ご自分が大学生だったころの感覚や基準で、学生たちに対すると、様々な失敗をするわけです。「大学生なのだから、自由にさせよう」とか「もう、20なのだから、自分の責任でさせよう」とか、良かれと思って学生の主体性を尊重した判断が裏目に出ることもしばしば、どころか、かなりの頻度とお聞きします。

 そこで、一つの基準が「年齢7掛け説」。つまり20歳の大学生は20年30年前の14歳だと思いましょうということ。その程度の精神年齢や人間としての成熟度と考えると、学生に対して適切な判断や対応ができるというもの。

 お怒りの大学生読者もおられるでしょうが、クリスチャンの大学教師から聞くことですし、30年前に大学生であった私も、決して暴論ではなく、かなり当たっていると思います。

 そこで考えたいのが若年層の性体験であります。昔の二十歳の大学生の性体験は、かなり真剣な恋愛関係やそれなりの責任感があったように思います。相手をよく知りもせずとか、あまり好きでもない、付き合っていないのに、などは稀なケースであったでしょう。とろこが、今の二十歳の大学生は、14歳、つまり中学生のように、十分な判断力も責任感もなく、後先を考えず、流れや、雰囲気で性関係を持ってしまったりするのでしょう。

 ましてや、現代の高校生の性体験はどうでしょう?18歳未満に7掛けをすると、もう、小学生です。小学生レベルの判断力、責任感、自己管理能力、社会性の人間に、性行為を許容する事の恐ろしさを改めて思います。平成20年代の高校生の性行為昭和の小学生同士のそれに相当すると考えると、これは、とんでもなく無謀なのでは?

 ここ20年か30年で十代の人格的成熟度は、70%に後退しているのに、性体験開始年齢は何年も早まっているわけです。教育現場の方々の中には、この20、30年こうした「未熟傾向と性の早期化」に頭を悩ませてきた方も多いのでは?

 同じ社会や文化に生きている限りは、キリスト教会に集う若者たちも、同様の傾向を免れないと思うのですが、クリスチャンホームのや教会の教職にはそうした意識があるでしょうか?そこで過激でインパクトあるフレーズを思いつきました。

「平成20年代の高校生の性行為は、昭和の小学生のそれに等しい!」

 力ずくの論法、そして横着で挑戦的なフレーズでしょうが、一度、真偽や妥当性をご検討いただければ感謝。
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 07:09 | - | - | - | - |
見せるな、危険?「過激な等身大」の標準化!AKB48「桜からの手紙」
 本ブログではAKB48関連ネタは確か以下の二つ。

これは秋元牧師?について
http://blog.chiisana.org/?eid=1381679

これはAKM48ネタ
http://blog.chiisana.org/?eid=1351863

 数日前ある読者から「タレこみ」がありました。最近は9夜連続でAKB48主演のドラマ「桜からの手紙」が深夜に放送されているのだとか。こうしたトップアイドルが、深夜枠番組で主演すること自体、従来にない異例なこと。その内容がアイドルとは思えない過激なものだそうです。

 日テレの宣伝はこちら
http://www.ntv.co.jp/akbsakura/schedule/index.html#26

 これだけでは、過激振りがわかりませんね。

 ヤフー知恵袋には、この番組の評価を尋ねる質問が。これは、よくも悪しくも、視聴者の声を集約していると思われます。
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1056647695

 
 女子高生が、奔放な性体験を繰返す話し。妊娠した女子高生の話しでは、中絶体験のある同級生が中絶同意書を偽造した話し。胸が小さくブラがはずせず初Hに失敗した友人を応援する話し、居場所のない女子高生がリストカットを繰返す話しなどなど。過激さとインパクトで視聴率をとろうというのがミエミエであります。

 秋元氏はついに、自らが育てたアイドルを安売りしようとしているのか?いや、アイドルを捨てたかのように女子高生を演じさせ、女子中高生にとってますます「等身大のアイドル」にしようと企んでいるに違いありません。また、それが成功するのと的確な読みをしているのでしょう。

 タレこみの主は小学6年の娘さんが録画したものを見て、ショックを受け、問題視しておられるようです。こうした内容の深夜番組はこれまでもあったでしょうが、今回は別格の問題だと私も思います。多くの少女達の憧れや、モデルでもある国民的アイドルが、従来ならB級と評価される内容のドラマに主演し、過激な性的内容を演じているのですから。

 そうです。深夜にB級アイドルがこうしたB級のドラマの主演をするのなら、単なる俗悪番組で済むのです。少女たちも、その程度の興味関心しか持ちませんし、演じる側が与えるB級感は、少女達への影響も減少させるでしょう。ところが、演じる側が超A級ですと、ドラマがB級でも、リアリティーや共感が生まれかねません。少女たちの興味関心も全く異なるでしょうし、将来の恋愛や性行動への影響力も、飛躍的に強まることが予想されます。

 言うまでもなく、これは過激な性表現をする少女漫画以上に、少女達に「刷り込み」をします。

「高校生になったら、セックスをするものだ」
「愛し合っていれば、当然」
「セックスしない女子高生はいけてない証拠」
「初体験をするのにも苦労があるが、がんばるべきだ」
「妊娠したら、同意書を偽造して中絶という選択肢がある」

 これらは、安易な性行動や生命軽視に走らせる恐ろしい刷り込みです。

 私の読みでは、秋元氏や番組制作者のコンセプトは「過激にして等身大」でありましょう。「等身大の女子高生」を演じさせて、現実にこれくらい「過激」だと、刷り込むのです。確かにこうした現実女子高生の世界にあるのは事実。しかし、「標準」とは言いかねます。

 視聴者である女子小学生から女子中学生あたりは、この「過激な等身大」を「標準」として刷り込まれてしまうことでしょう。これが怖いのです。現実より過激だから、興味関心を呼ぶ、それを等身大と感じさせるAKB48の力が、標準化してしまうわけです。

 原理主義的なクリスチャンからは、「サタン秋元」とか「悪魔のアイドルユニットAKM48」とか、反対撲滅運動が起こってもおかしくない事柄ではないかと思うのです。

 録画をしたり、youtubeを通して、小学生の高学年や中学生の女子生徒たちがこの番組を観ているようです。親は知っているのでしょうか?この番組を見せれば、どのような刷り込みが行われ、将来の恋愛スタイルに影響することがわかっているのでしょうか?

 秋元氏は、日本の将来ある子どもを犠牲にしてまで、従来にないほどのスーパーアイドル軍団を作りたいのか?秋元氏はついにここまで道を踏み外したのか?

 子どもを守る責任のある大人である私たちは抗議したいです。昔ならPTAが黙ってはいないでしょう。子どもたちを性的な傷と不幸から守りたいと願うのです。それは小さないのちを守ることにも直結するはず。いや、少女たちがこうした番組に影響を受けるより先に、クリスチャンこそが、聖書が示す幸福な性のあり方を自信をもって伝えて行きたいものです。

 私もyoutubeで、第二話と第三話のポイントだけ視聴しました。うーん、この番組、「教会は正解を持っているが、問題を分かっていない」というある方の言葉が身にしみる事例の一つかと思います。
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 13:58 | - | - | - | - |
「ホンマでっか!?TV」で同棲神話崩壊!
 同番組の2月9日の放送は「危ない夫婦関係スペシャル」で、私も視聴。結婚などに関して大変興味深い資料や見解がありましたので、ご紹介。

 その一つは、同棲についてのアメリカのデータ。ある学者先生が「これはアメリカのデータですが」と断った上で、同棲した後に結婚した夫婦は同棲をしなかった夫婦より離婚率が高いとのデータを紹介。会場は「えーっ」と「意外」という応答。これは同棲が「お試し婚」「相性判断実験」のように機能すると、多くが考えていることを示すことでしょう。

 その学者先生のお話では、同棲後に結婚すると、男性が女性に飽きてしまう。離婚する場合は男性から解消を切り出すことが多いとのこと。したがって、よい結婚を願うなら、女性は特に同棲をすべきではないというのが、この先生の見解。

 このデータは過去記事でも紹介していますので、ご参照を。それに加えて同棲関連の記事もご紹介しておきます。

同棲は「お試し婚」にはならない!
http://blog.chiisana.org/?eid=538091

当世結婚事情に突っ込み
http://blog.chiisana.org/?eid=955959

かたや「同棲」、かたや「童貞」
http://blog.chiisana.org/?eid=661002

 考えてみれば、同棲と結婚の違いは何でしょう。男性にとってみれば、同棲すれば、欲しいものはすべて手に入ります。逆に結婚をすると、責任や自由の制限など、マイナス要素が増えてしまうように感じます。また、女性が性関係よって相手への愛情が深まる傾向があるのに対して、男性は性関係が続くと飽きてしまう傾向があります。

 女性は同棲から結婚へという方向はクレシェンド、でも、男性にとっては、同棲から結婚への移行は、デクレシャンドというわけ。強い責任感や人生を共に生きる決断がなければ、男性にとって、同棲から結婚への移行は、気の進まない要素も多いのではないかと思うのです。
 
 女性としては、DVや異常な性癖を恐れたり、結婚失敗を回避したい思いから、安全策として結婚前に同棲をすることが、より安全なプロセスだと考えるようです。一見、理屈にあっているようですが、そうではないのが、結婚の現実のようです。

 私がかつて、相談を受けた女性は、同棲している時は彼氏から暴力を受けた事がなく、婚姻届を出したその日からDVが開始したと訴えました。そうしたこともあるのですね。

 同棲はお試し婚ではないでしょう。「嫌になったら止められる」のは恋愛です。同棲は、「結婚可能性模索期における同居型恋愛」に過ぎないでしょう。

 結婚はリハーサルできない性質のもの。それはバンジージャンプやスカイダイビングのようなもの。
準備はできるし、心構えも大切、しかし、お試しやリハは不可能なのです。結婚とは恋愛の延長線上ではない、後戻りのできない責任重大な契約であることを、覚えたいですね。

 マスコミはこうしたアメリカでの有益な情報を伝えません。この番組はシモネタが多くて、どうかとは思いますが、普段マスコミが提供してくれないような、有益かつ一定信頼度のあるデータや資料を紹介してくれるという点で、評価できると思うのです。

 結婚や家庭についての有益研究は多くありながら、なかなかメディアが一般大衆に伝えない不思議な国日本。むしろ、健全な結婚や家庭形成を妨害するような情報ばかりを流しています。そうした中にあって、娯楽的とはいえ、やはり一流の学者や専門家の見解や主張に触れることができるという面で、有意義な番組かな?とは思っています。
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 08:51 | - | - | - | - |
「愛し合っていたら高校生でもいい」と主張する大人の皆様へ(3)
 第三回目は 「愛し合っていたら高校生でもセックスをしていい」とお考えの高校教師の皆様へ。

 ここ数十年で、日本の高校生の性意識や性行動は激変をしたように観察しております。私自身も、20年前は公立高校の教師でありました。中学校の成績が中の上くらいの生徒が中心の普通科高校でしたが、高校時代に性体験を持つケースは、男女とも、かなり少なかったです。当時、東京都内の高校生3年生の性体験率が10%に達したと聞き、危機感を覚え、従来の指導の見直しを考えたりしたものです。

 従来の指導について記しましょう。私自身が、勤務していた高校では、「不純異性交遊は、即退学」となっておりました。まだ、「不純異性交遊」という言葉があったのです。どんなに愛し合っていても、高校生のセックスは「不純」であり、それは真剣な交際とは認められず「交遊」という言葉で表現されていたわけであります。つまり高校生のセックスは、「不真面目な遊び」という評価が一般的であり、世間一般も「愛は性行為を肯定する」という発想が、高校生には適用しなかった時代でありました。

 また、その「不純異性交遊」をする生徒たちのほとんどは、ドロップアウトしており、学校生活を真面目に送らない生徒でした。様々な逸脱行為、高校生にあるまじき生活の延長線上に性行為があったわけです。

 「不純異性交遊」につきましては、過去記事でも言及しておりますので、ご参照いただければと願います。

君は「不純異性交遊」を知っているか?
http://blog.chiisana.org/?eid=1196891

不純異性交遊に代わる言葉
http://blog.chiisana.org/?eid=1199930

 今は、全く異なった様相かと思います。健全な家庭に育ち、きちんとした学校生活を送る普通の生徒間でも性関係が結ばれるようになりました。20年前とは同じ高校生の性行為であっても、教育指導面から見れば、大きく意味が変わっていると思われます。教育現場での先生方のご苦労を思いますと、胸が痛む思いがいたします。

 さて、「愛し合っていたら高校生でもセックスをしていい」とお考えの高校教師の皆様の多くは、責任ある性行動や性的自己決定権という思想に立ち、避妊の大切さなどもご指導しておられると思います。しかし、残念なことに、なかなかこうしたプライベートなことは、指導徹底が難しく、どうしても妊娠が起こる事は避けられません。

 私自身も女子高生の妊娠事例を扱ってまいりましたが、妊娠の事実が学校に知られてしまうと、退学せざるを得ないのが現状であります。これは、教育上、著しく矛盾したことではないでしょうか?私が激しい憤りを感じておりますのは以下の三点であります。

’タ韻発覚すると退学させられるが、隠して中絶すれば学校生活を続けられる。
 出産する場合でもそうなのですから、おかしいではありませんか!いのちを産み育てる選択をする生徒が退学を強いられ、隠蔽し証拠隠滅を図る生徒が学校生活を続けるのですか?結果的に学校がそれを是認、黙認しているわけです。このことは「自分の行動に責任をとる生き方」「いのちの大切さ」を教えている教育機関としてこれはありえない矛盾のように思うのですが、いかがでしょうか?

妊娠した女子生徒とは退学となり、妊娠させた男子生徒は学校生活を続ける。
 共学や同じ学校のカップルの場合はこういうことが起こります。これは一種の性差別ではないでしょうか?また、法の下の平等に反するのではないでしょうか?実際に大抵の避妊失敗は男性の側の責任が大きいです。自分の性と体を管理できなかった女子生徒は未熟で愚かでしょうが、妊娠の危険を顧みず愛という名目で欲望を果たした男子生徒の方が、より悪質と考えるのが、自然ではないでしょうか?当人の責任や両者の合意があるとは言え、性と体を搾取され、傷つく女子生徒を指導範囲外としてしまいながら、むしろ主体的で悪質な男子生徒を指導範囲内とすることは、教育理念からして本末転倒かと思えるのですが、いかがでしょうか?

A澗旅渋い箸靴導惺擦、生徒の性行動を容認しながら、妊娠事実については黙殺している。
 生徒の性行動を容認する結果まで一定フォローするのが、教育機関の責任だと私は思います。高校生はまだ、妊娠という事態に対しての責任能力がないのですから、性行動を容認する限りは妊娠した場合の責任をどう取るかを事前指導し、実際に妊娠が起こった場合は、その事後責任を助けてやるのが教育ではないでしょうか?
 性行動を容認しながら、一方で「妊娠したら指導範囲外」というのは、一般社会の視点からしても、身勝手で、学校のご都合主義といわれても仕方ないのではないでしょうか?高校生の性行動を容認するなら、妊娠フォローとセットでなければ、結局、女性生徒には残酷この上ない非教育的仕打ちをすることになるのではいかと危惧申し上げるのであります。
 ただ、生徒思いの先生の中には、生徒からの妊娠報告を受け、学校側には隠し学校生活を続けさせる方もおられることをお聞きしております。同時に、よほど自己保身のない献身的な思いがなければ、それができないことも承知しております。

 まとめに入りましょう。こうした「性行為容認で妊娠退学」方針という学校組織から、女子生徒たちが、受け取るメッセージとは何でしょう?
 
^Δ傾腓辰討い譴丱札奪スしてもよい、しかし、妊娠したら退学
△いに妊娠しないようにセックスするかが大切
Gタ韻靴疹豺腓、隠さなくてはならない
でタ韻靴疹豺隋学校は出産・育児・結婚を認めてくれない
コ惺擦鯊海韻燭い覆蕁妊娠を隠して中絶するしかない

 結局、学校の「性行為容認で妊娠退学」が暗黙の内に放っているメッセージとは「学校を続けたければ、学校にばれないように中絶をするしかないぞ」に他ならないと私は思います。これは、命の大切さを教え、責任ある社会人に生徒を育てるべき学校としての教育的なメッセージでしょうか?

 つきましては、「高校生でも愛し合っていたらセックスしてもよい」という見解の高校教師の皆様にお願いを申し上げます。

 ,修里茲Δ砲考えでしたら、妊娠発覚した場合も、出産する場合も、中絶する場合も、女性生徒の学業継続を保証して下さい。

 学校全体がそのような方針となるように、働きかけをして下さい。一担任が自分の出世やクビをかけて、女子生徒を守る必要がない体制作りのためにご尽力をお願いします。

 6饌療対策としては、将来的には、アメリカ同様、母親学級や託児所を校内に儲けることも視野に入れていただきたく願います。

 どうか、妊娠をして、先生にも親にも言えず、時には相手男性にも言えないままで、学校を続けたいがために、芽生えた命を断たざるを得ない女性生徒たちのために、高校生の性行為を容認する教師の皆様にはそうしたご尽力をと願います。

 あるいは、そうした見通しがない場合は、方針転換をと願います。

「ごめん、君たちが妊娠したら、学校は指導範囲外にせざるを得ない、だからセックスするな」という発信もご検討を。

「妊娠発覚したら、私たち教師はどうしても生徒の敵になってしまう」という葛藤も正直なことでしょう。

本校が生徒の妊娠、中絶、結婚を認めない限りは、性行為を容認するのは無責任であり、およそ教育的ではない」という判断も、合理的ではないかと思うのですが、どうでしょう?

 私も元高校教師です。今とは比べ物にならない小さなものでしょうが、こうした葛藤を経験してきた一人として、現場で日々苦闘しておられる先生方に、失礼ながら、「暴言」「理想論」とのお叱りを覚悟でお願い申し上げます。
 

 
 
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 12:26 | - | - | - | - |
「愛し合っていたら高校生でもいい」と主張する大人の皆様へ(2)
 第二回目は、「愛し合っていたら高校生でもいい」とお考えの保護者の皆様へお願いであります。

 お子様が高校生、あるいはやがて高校生になろうとしている保護者の皆様の中には、「高校生でも愛し合っていればセックスをしてよい」とお考えの方々もおられるようにお聞きしております。当然、そうお考えで、高校生であるお子さんに対しても性関係を許可されるのですから、避妊についてはしっかりとご指導をされているものと思います。コンドームは正しい使用をすれば避妊率は99%ですから、そうした指導によって、お子さん方が決して、命に対して責任ある態度をとるよう指導を徹底しておられるとご推察申し上げます。

 一方、2005年愛知県の私立高校生徒に対してのアンケート結果によれば、高校三年時の性体験率は40%を超え、女子生徒の80%以上は妊娠に対して恐れを持っております。にもかかわらず常時避妊をしている高校生は半数程度に過ぎません。さらに申し上げますなら、10代の男性の多くはコンドームを正しく使えないので、避妊率は80%を下回ると予想されます。つまり5回に1回は妊娠する可能性がある性行為をしているわけです。

 さらにはアダルトビデオの影響などで膣外射精を避妊と考えている生徒も少なくないようです。医学的には膣外射精は、射精前に分泌される液と共に微量の精子が膣内入っており、厳密には避妊とはならないそうです。

 当然のことながら、「高校生でも愛し合っていればセックスをしてよい」とお考えの保護者の皆様におかれましては、こうした現状はご存知の上で、お子様に対しては完璧な避妊指導をされ、決して、女子は妊娠しない、男子は妊娠させないよう徹底しておられることとご信頼申し上げております。

 えっ?徹底指導してないのですか?「してもいいけど絶対妊娠させるな」「してもいいけど避妊は絶対」などの言葉で伝えてあるだけですか?なるほど、それで、絶対妊娠してはならない立場の高校生たちでも、常時避妊するのは半数程度なのですね。近年における10代の中絶の急増も、こうした保護者の姿勢をお聞きすれば頷けます。高校生の現実に対応できてないようですね。たとえ、かなり具体的に指導をしていたとしても、いざと言う現場で確実に避妊をできるような高校生カップルはそれ程多くないでしょう。

 大変厳しいことを申し上げますが、果たしてそれで、保護者として責任を果たしていると言えるのでしょうか?現実問題として、高校生への避妊指導の徹底は困難ですし、100%の避妊法はないのですから。

 セックスには必ず命芽生える可能性があるのです。「高校生でも愛し合っていればセックスをしてよい」とお考えの保護者の皆様はきっと、そうした前提に立って、高校生のお子さんに性行為を許容しておられることと思います。お子さんはまだ自己責任で生きられないので、保護者の皆さんが必要なわけです。そして、お子さんの行動の責任は保護者が一定とらなくてはなりません。

 たとえば息子さんが彼女を妊娠させたら、その責任はどう御取りになるのでしょう?自立できてない息子さんを結婚をさせ、父親として機能すると思えない息子さんに父親をさせ、親が経済的な援助をされるのでしょうか?高校生の息子さんに性行為を許容されるからには、そうした責任をとる覚悟がおありのことかと思います。

 間違っても彼女に中絶させ、その費用を全額負担するという形で責任を御取りになるなどとはお考えではないと思います。それは、全く責任をとったことになりませんからね。彼女が生涯において受ける精神的肉体的不利益失われていく小さないのちへの責任数十万円で済むなどという愚かで残酷なお考えをお持ちではないと信じております。そもそも彼女を妊娠させて中絶費用の支払いで、責任を済ませるような男に、大切な息子さんを育ててはなりませんよね。そして、そんなことをしたら、もう息子さんに「いのちの大切さ」や「責任ある生き方」を親として説くことなどできなくなってしまいますよね。

 また、娘さんが妊娠した場合は、保護者としてどう責任を取られるのでしょう。同じように未熟な娘の結婚と母親になることを認めて、親として経済面や育児面で援助をしてゆかれますのでしょうか?まさか、妊娠したら、娘が親の知らないうちに中絶してくれるだろうという前提でお考えということはないでしょうね。これは親として娘への保護責任を果たしていないと言わざるをえませんから。

 高校生はまだ、親の保護下におります。自分で責任がとれないのです。性的な行為の結果としての妊娠という事態に至った場合、責任能力がないのです。こうした責任能力がなく、親の保護下にある子どもに対して、厳粛な責任が問われかねない性的な自由を認めてしまうのは、「間違った大人扱い」ではないでしょう。高校生を一人格として尊重するとは、高校生を責任能力のある大人扱いをすることではないでしょう。発展途上で責任感も責任能力も訓練中の高校生として扱い、性的自由を制限してあげることが、お子さんの将来にとって最善ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?親の保護下にあり、妊娠については自己責任能力のない高校生には性行動に関しては、「自分の責任で決めなさい」ではなく「責任が取れないからしてはいけない」が正解ではないかと思うのです。

 親の保護下にある高校生に、「自己責任能力を超えた自由」を与えることは、結局のところ、大切なお子さんを、いつまでも親の尻拭いを期待してしまう自立不足の責任感に欠けた大人にしてしまうことではないでしょうか?そして、それは親として最もしてはならないことの一つであり、責任感ある自立した大人に子どもを育てるという親としての責任放棄と言われかねないのではないでしょうか? クリスチャンであるなしに関係なく、保護者の皆様には、一度、ご検討いただければと願います。
 
 
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 22:36 | - | - | - | - |
モノには言いようがあるだろうが?何が「セクシャル・デビュー」じゃ!
 最近、子宮頸がんワクチン接種のPRパンフを入手いたしました。色使いやデザインは実にかわいく綺麗にできており、女子中学生あたりをターゲットしているのがよく分かります。いろいろ考えさせられることはあるのですが、今日は一点だけ。

 それは「セクシャル・デビュー」と言う言葉。

 パンフの最後に女医さんの言葉として、「ですから、子宮頸がんワクチンはセクシャルデビュー前(性交渉の経験前)の10代で接種するとより効果的です」とあるのです。

 この「セクシャルデビュー」なる言葉をネット検索しますと、カトリック信徒で国会議員、性教育には重荷のある山谷えり子さんが書いた記事が見つかりました。是非ともご覧あれ。山谷さんも同じようにこの言葉も問題視しておられるようす。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110124/edc11012416560016-n1.htm


 10代の女性が、初めての性体験を同性の友人などは話す時に使う言葉はどんなものがあるでしょう。
「彼としちゃった」「体験した」「ささげた」「初めてしちゃった」「愛を体で確かめ合った」「やっちゃった」などなど。まあ、上品な表現もあれば、下品な表現もあり、人格的情緒的なものもあれば、即物的で軽率なものもあるでしょう。

 でも「私、セクシャルデビューしたの」という表現はどうでしょう?これらのどれよりも、言う本人の側には誇らしげな気持ちが生ずるのでは?言語化するなら「一歩先を行っている」とか「大人の仲間入りを果たした」などの気持ちが、起こるように思うのです。

 他方、友人からのセクシャルデビュー報告を聞いた10代の女性はどうでしょう?「自分は、まだデビューしていない」「まだ、子ども、劣っている」「先を越された、早くデビューしよう」などと感じることでしょう。「デビュー」なる表現は、それを聞いた10代女性に、劣等感、焦燥感を与えてしまうことでしょう。

 ただでさえ、今は、初めての性体験を後悔したり、不本意と評価する10代女性が増えているのです。つまり、大して好きでもない男性とはじめての経験をして、すべきでなかったと後悔してるわけです。よく相手を理解せず、深い心の通い愛もないまま、安易な性行動に走っているということ。

 「デビュー」なる表現は、さらに未体験の女性たちに劣等感を与え、焦燥感をかきたて、安易な性行動、やがては後悔する初体験という傾向に拍車をかけることにもなりかねません。

 何か「デビュー」と聞けば、10代の女性は、デビュー後には華々しく素敵な世界があるかのように勘違いをしてしまいます。一方で、デビューに伴う責任やリスクの側は、あまり頭にありません。性関係のために芽生えかねない命に対しての責任、体で愛を確かめ合ったとしても半年から1年でほとんどが別れていく現実予期せぬ妊娠や性感染症などの深刻なリスク・・・・。そこには、およそ「デビュー」なる言葉の持つ華やかさとは正反対の厳粛さがあるはずです。

 さらには「デビュー」なる言葉は、「デビュー後には、何人もの男性と性関係を持つのは当然」という暗黙のメッセージを与えるように思うのです。歌手やスポーツ選手がデビュー後に、ステージやゲームを重ねていくように、何人もの男性との性関係を重ねることを肯定するメッセージを子の言葉は10代の女性たちに与えてしまうのではないでしょうか?

 逆に、「結婚まではしないのが理想的」と考える日本においては決して「少なくはない少数派」は「いつまでもデビューしない人」「いまだにデビューできない半人前」という否定的な評価につながるのでは?あるいは、芽生える可能性のあるいのちへの責任や自分の将来を考えて、賢明で慎重に性を考える女性たちの主体性や本当の意味での自己決定的な姿勢さえもくじきかねないと思うわけです。

 そう、「デビュー」なる言葉を用いるとどうしても次のような価値判断を誘導してしまうでしょう。

 「デビュー後の女性>デビュー前の女性

 「デビューした状態>デビューしていない状態

 デビューという言葉がやはり「芸能やスポーツ」を想起させるなら、こうした価値判断の誘導は起こるし、それが結果として安易な性行動を煽ることは容易に想像できるはず。そして(男性も同様ですが)女性が結婚前にデビューして何人もの男性と性関係を重ねて、結婚することは、女性の将来、夫婦関係の構築、子育てにプラスなのでしょうか?

 それは、医学的には、性感染症や中絶経験、不妊などを増加されるでしょう。夫婦のセックスレス化、少子化、さらには結婚破綻と家庭崩壊を増長させ、それに傷つき痛む子ども達をいよいよ多く生み出すこととなりかねません。

 この「セクシャルデビュー」なる言葉。クリスチャンとして聖書的倫理の視点から反対するのは当たり前。女性の幸福な性や真の自立や主体性を疎外するものとして反対すべきでしょう。さらには、少子化や家庭崩壊を助長しかねないと危惧されるので、国益に反するという点からも、この「セクシャルデビュー」なる言葉、決して普及させてはならない!と思うのですが、どうでしょう?


〈追記〉一読者より、山谷議員についての肯定的な記述をしていることについての危惧を伝えるメールをいただきました。その理由は山谷議員と統一協会との関係です。読者の方に誤解や、危惧やご心配を与えてはなりませんので、追記としてお知らせします。カトリックの保守系政治家である同議員と統一協会との関係をどう評価するかは、多様でありましょうし、読者の皆様次第でしょう。以下のウィキペディアの「主張・活動」の第二項もその点に触れています。ご参考となれば感謝です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B0%B7%E3%81%88%E3%82%8A%E5%AD%90
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 14:10 | - | - | - | - |
「愛し合っていたら高校生でもいい」と主張する大人の皆様へ(1)

「愛し合っていたら、高校生でもセックスしていいのでは?」そんな考え方が主流であるかのように感じさせる日本社会です。まだまだ未熟で判断力や展望性のない高校生自身がマスコミなどの無責任な言葉に、騙されてそうした考えを持っているのは、残念ですが、分からんでもありません。

しかし、子どもを守るべき責任を持つ大人たち、しかも判断力もある成熟した大人たちがそうした見解であり、高校生のセックスについて容認的であることは、大きな問題だと思うのです。

 

そこでこのシリーズです。第一回目は「愛し合っていたら高校生でもセックスしてよい」と発信しているマスコミの皆さんにお願いです。そこまでおっしゃるなら、是非とも「愛し合っていたら、高校生でも結婚してよい」と発信して下さい!「愛し合っていのちが芽生えたら、高校生でも出産育児をするのがよい」と、どんどん世論に訴えて下さい。二人の愛がセックスを肯定するなら、結婚だって、出産育児だって肯定されるべきです。高校生カップルが愛し合い、体を一つにし、結婚し、出産育児をして家庭形成をしていくことを、マスコミは素敵なこととして描き、奨励していただきたいです。

 

えっ?未熟で親から自立していない高校生の結婚など推奨できないって?母親になる準備ができていない高校生の出産育児を認めるのは、無責任だって?それなら、どうして、いのちが芽生える可能性があるセックスを容認するのですか?自立しておらず、結婚・出産・育児の準備ができていない未熟な高校生のセックスを認める事は、大人としてあまりに無責任ではないでしょうか?

 

それとも妊娠したら、中絶すればいいとお考えなのでしょうか?でしたら、「愛し合っていたら、高校生でもセックスしてよい、妊娠したら、中絶をすればよい」と堂々と、発信して下さい。えっ?心と体に傷を残し将来に悪影響を与える中絶を、安易に進奨励できないって?そんなこと世論が認めないって?だったら、「妊娠しても中絶せざるを得ない女子高生は、セックスすべきではない」と発信すべきでしょうが!

 

「今どき高校生ならセックスは当たり前」のような発信をしながら、高校生の結婚、出産・育児、中絶を肯定しないなら、それは情報操作であり、高校生に性的傷を与えることを意味しているのではないでしょうか?高校生を犠牲にしてまで、金儲けのために興味本位で刺激的な発信をしようとするなら、それはもはや、犯罪的ですらあると私は思います。高校生たちを性的傷から守るという、次世代を保護する大人としての責任を放棄するだけでも、問題ですのに、積極的に傷つけるように情報操作をしているとしたら、それを「犯罪的」「社会悪」と評価するのは言い過ぎでしょうか。
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 11:12 | - | - | - | - |
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