命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
マリヤは一時の恥、マルタは一生の恥?
 ルカの福音書10章の38節以下には、マルタとマリヤのお話しが記されています。結局、このお話しを通じて神様は聖書読者に何を伝えておられるのでしょう。確か、作家の亀井勝一郎氏は「マルタは世話女房タイプで、マリヤは恋女房タイプ」と評したと記憶します。それは見事かつ適切な性格分析でしょうが、神様は「あなたはマルタタイプ?それともマリヤタイプ?」と性格分析を為さりたいわけではありません。

 イエス様ははっきりと「どうしても必要な事は一つ、マリヤはよい方を選んだ、取り上げてはいけない」とおっしゃっています。これが結論で間違いないでしょう。つまり、この話の目的は、性格の類型化ではなく、どちらを選ぶかという選択の大切さを示すことでしょう。静まり主の語り掛けを聞くという最重要行為として、主のための活動に優先して選択するようにと命じているのです。

 そこで思いついたのが、今回のタイトル。

マリヤは一時の恥、マルタは一生の恥

 私たちがマリヤのようだと、教会生活で、マリヤのように「奉仕しない」とか「協調性がない」とか、誰かに叱られたり、悪く言われるかもしれません。でも、それは一時の恥。地上の生涯での期間限定の恥。一方、地上の生涯をマルタモードで過ごしたらどうでしょう?イエス様に再びお会いした時、休みなく主のために働いてきたと自他共に認めるクリスチャンは、再臨の主の前に立っとき、こんな会話になるかも・・・・

再臨のイエス 「あなた一生マルタでしたね」
一クリスチャン「はい、あなたのために休みもないほどに働きました」
再臨のイエス 「その気持ちは、うれしいんだけどねー」
一クリスチャン「厚かましいとは思いますが、忠実な僕だと、褒めていただけないんですか?」
再臨のイエス 「あのねー、あなた、聖書のマルタとマリヤの話、読んだことあるの?」
一クリスチャン「はい、何十回と読んで、メッセージも何度も聞きました」
再臨のイエス 「じゃあ、何で、ずっとマルタしてたの?」
一クリスチャン「・・・・・」
再臨のイエス 「しかも、御言葉を聞いて恵まれても、奉仕しない兄弟姉妹を心の中でずっとさばいていたでしょう」
一クリスチャン「・・・・・全部、お見通しだったのですね」
再臨のイエス 「マリヤの選択をして欲しいと、はっきり聖書で示したのに、私は悲しいです。」
一クリスチャン「少しは、分かっていたのですが・・・」
再臨のイエス 「やっぱり、実行してくれなくちゃーねー」
一クリスチャン「申し訳ありませんでした」

 この妄想の通りの事実が起こるとは思いませんが、少なくとも真理のある一面を表現しているとしたら、やはり、「マリヤは一時の恥、マルタは一生の恥」でありましょう。

 人に悪く思われたくなくて、マリヤに徹しきれず、マルタ化しやすい私たち。
 マルタのように活動に追われ、焦点が定まらず、他者をさばきかねない私たち。
 マリヤであることを主が望んでいると知りなら、時にマリヤになろうとせず、マルタを選ぶ私たち。

 常にみことばを心に主の御心を確認し、正しい選択をしなければと思います。たとえ、一時の恥をかいても、主の御心であるマリヤモードで地上生涯を過ごしたいもの。間違っても、マルタモードで生涯を終えて、主の前で一生の恥をかかないお互いでありたいと願います。
| ヤンキー牧師 | 信仰エッセイ | 15:05 | - | - | - | - |
「大きな事を言う小さな男」より「小さな事が実行できる大きな男」

 猫ひろしさんのことではありません。猫さんは大きな事をする小さな男でしょう。一般論として、大いなる夢や希望を語るのですが、実は、自分を大きく見せようとする動機の小さな男がおります。ありのままの自分、等身大の自分で勝負できず、語る内容で自分を肥大化させ、相手に、自分をひるませたいのでしょうか?それとも、自分の劣等感の裏返しとして、相手に劣等感を与えようとしているのでしょうか?

 いずれにせよ、大きな事を言う男性が大きな男とは限りません。小さな男だからこそ、大きな事を言うケースも珍しくありません。小さな男の場合は、大抵その大きなことに達する為の小さなステップをスルーしているもの。夢や野望を語りつつも地道な努力や訓練あるいは準備をないがしろにしていることが多いように思います。

 一方、為すべき小さな事日常的な義務や責任を忠実に果たす男性がおります。大きなことはしませんし、言いません。しかし、地道に小さなことを忠実に果たし続けます。人から評価も注目もされませんが、為すべき小事に忠実であること。これができる人物が、本当の意味での大きな男のように思うのです。「評価や注目もされないような大事」を成し遂げるからです。

 というわけで、クリスチャン男性たるもの、後者でありたいと願います。聖書の「小さい事に忠実な人は大きい事にも忠実」とは、現実的な真理であります。委託された事柄の大小は、本質ではなく、委託された人物の忠実さの有無が決定的なのであります。

 婚活系女子の皆さんは既に経験的にご存知でしょう。大きな夢や野望を語るだけの男性は、やめときましょう。夢を語る男性に恋してしまった場合は交際前にしっかりと観察、チェックが必要。結婚は現実生活です。大事を語るより小事への忠実が優先です。祝福された結婚生活を築き上げるのは、大きな夢やビジョンより、日々の小さな愛の努力の積み上げです。

 「小さなことからコツコツと」の名言は偉大な漫才師によるもの。小事への忠実さの積み上げこそが、真の偉大さに至るのでは?

 男性読者の皆様は余計なお世話でしょうが、ご自身が「大きな事を言う小さな男」か「小さな事が実行できる大きな男」か自己検証されてみてはどうでしょう。

| ヤンキー牧師 | 信仰エッセイ | 15:18 | - | - | - | - |
育てよう、健全信徒(18)〜山本リンダクリスチャン
 山本リンダ・クリスチャンとは、山本リンダさんのヒット曲を体現したクリスチャン。「高飛車肉食系女子」を描いたと思われる斬新な歌詞とそれに合致したへそ出しファッションと楽曲は社会現象となり、ちびまる子ちゃんのような小学生までが歌って踊った程でありました。

 山本リンダクリスチャンの第一の特徴は、「どうにもとまらない」の歌詞どおり。その基本姿勢は、「いつでも楽しい夢を見て生きているのが好きなのさ」と歌詞の主人公の如し。それは、主からの夢でなく、自己実現の夢。神様が喜ぶ夢でなく、自分を楽しませるための夢

 その夢を見ながら、「蝶になり、花になり、もうどうにもとまらない」状態です。周囲は何とか止めて、自分と神の関係を見つめて欲しいと願っているですが、当人の衝動的性格もあって止められないのです。御霊の実である自制の実も結実しておらず、御言葉に従うという基本姿勢も欠如しており、聖書の言葉による静止もが効きません。それどころから、衝動的な自己実現の夢のため、御心を従わせ、都合のよい聖書の言葉を引用する本末転倒。

 この状態が継続して、症状が悪化すると、次は、ヒット曲「狙い撃ち」の歌詞の如しであります。「この世はわたしのためにある」という恐るべき自己中心。この世どころか、神様さえも自分ためにあると思っているのではないかと心配になるほどのトホホな信仰姿勢

 「磨きかけたこの体そうなる値打ちがあるはずよ」の歌詞のように「自分の賜物は素晴らしく用いられ、、自分の夢は実現し、自分の生涯は祝福される」との仮想優越感に浸ってしまいます。自分の罪や神と人とに対しての過ちなど「自分に値打ちがない」と思える事実は、あっさりスルーして、
「自分に値打ちがある」と思える事実ばかりに目を向けます。もはや、本当の自分から目を逸らし、自らを偽るかなりの重症。

 こうなると、周囲のクリスチャンも、三つ目のヒット曲のごとく、「きりきり舞い」であります。

 「どうにもとまらない」衝動と自己実現の夢、「狙い撃ち」の自己中心と仮想優越感、「きりきり舞」となる周囲のクリスチャン達・・・・。

 願わくは、「リンダ困っちゃう」のように当人が困っていただき、行き詰まりの中で、自己変革の必要性を悟り、神様からのお取り扱いを願っていただきたいもの。周囲ができる援助は、それを祈り続け、手伝っていくことくらいでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 17:19 | - | - | - | - |
ビックリ!この記事が歴代最多「いいね!」記録を更新中
 ここ数日で、この記事に「いいね!」が集中。遂に歴代記録を更新してしまいました。30に届こうかという勢いに、びっくり状態。多分、某ブログで紹介されたのが、発火点となり、過分なご評価をいただいたのでしょう。私としては予想外の「いいね」の多さに驚くばかり。

 婚活ネタで、「萌え」を考察したから?「教会内萌え」との視点の新鮮さ?教会内萌えへの一般的萌えの混入の指摘?「教会内萌え注意報」の常時発令のリアリティー?どうも、若年クリスチャン男性からの強いご支持をいただいたように思えてなりません。いいや、もしかすると教会内萌えで痛い目にあった経験のあるクリスチャン男性からの共感によるものかも。一方、女性がこの記事を理解し、指示して下るかどうかも読めない私です。

 というわけで、未読の方はぜひ、ご一読を。ご賛同いただける方は、さらなる「いいね」を。また、私同様、こうした記事が強く支持される理由が分からぬ方は、当世クリスチャン男性の思考や恋愛傾向を学ぶ材料になれば感謝なことです。

婚活系クリスチャン男子への「教会内萌え注意報」
http://blog.chiisana.org/?eid=1408342
| ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 11:05 | - | - | - | - |
育てよう、健全信徒(17)〜ダチョウ倶楽部クリスチャン
 今や、バラエティー番組には欠かせぬ存在となっているのがダチョウ倶楽部の三人組。一方、教会に生息が確認されているのが、「ダチョウ倶楽部クリスチャン」であります。それは、ダチョウ倶楽部のお約束のギャクを教会内で体現するクリスチャンのこと。

 まずは、奉仕をお願いすると、「どうぞ、どうぞ」とばかりに、右手を差し出しお辞儀をしてのご辞退。奉仕や労苦は自分以外の方にお譲りしますという基本姿勢。

 次には、「〇〇しましょう」と勧めたり、アピールすれば「今、やろうと思ったのに〜」と、ダチョウ倶楽部のように、為すべき事をしない責任を他者に転化。チャレンジ、お勧めに応答するのでなく、即座にそれをした人物に責任転嫁しての拒否的態度。「明日からしようと思っていた」「来年から始めるつもりだった」「いつか、やらなくてはと考えていた」と言いながら、「いつまでもしないという現実」だけが続くわけです。

 終始、そうした自己中な信仰姿勢でいれば、教会生活に限界が訪れるもの。牧師に向かい「先生に一生ついていきます!」と宣言したのに、「先生には失望しました」と決別宣言。当初は「この教会でいのちをかけて仕えます」と誓ったはずが、「この教会では自分が活かされない」と離脱宣言。この変わり身の速さはダチョウ倶楽部のギャグ「くるりんぱ!」の如しであります。

 「どうぞどうぞ」で神と教会に仕えようとせず、「今、やろうと思ったのに」で為すべきことを先送りにし続け、自ら教会生活に限界を招いおきながら、挙句の果てには「くるりんぱ!」で、離脱、教会転会であります。

 こうした自己中、独りよがり、自己完結型の「ダチョウ倶楽部クリスチャン」は、何とかご聖霊の働きによって、みことばを通じて、神様のあふれる恵みが分かって、上島竜平さんのごとく、その恵みに見事なリアクションをしていただきたいと願うばかりです。
| ヤンキー牧師 | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 19:56 | - | - | - | - |
育てよう健全信徒(16)〜ギリシャ風クリスチャン
 「ギリシャ風クリスチャン」と言いましても、ギリシャ彫刻のような均整の取れた肉体とお顔をお持ちの美男美女クリスチャンのことではありません。また、ギリシャ哲学者のごとく、思索的なクリスチャンのことでもありません。では、「ギリシャ風クリスチャン」とは、どのようなクリスチャンでしょうか?それは今日のギリシャ国内の経済状況のようなクリスチャンであります。

 膨大な借金を隠してのEU加盟。それが明らかになってもEU諸国の寛容さに支えられ、莫大な援助をいただきながらの再生の途上。にもかかわらず国民の皆様は、財政緊縮策に反対しておられる様子。実際の生活の厳しさが予想され、当事者である国民の心情は分からんでもありません。しかし、EU諸国やグローバルな経済の立場からは、こうしたギリシャの状況は、「おい、おい」となるでしょう。

 同じようにギリシャ風クリスチャンは、膨大な借金ならぬ膨大な罪を隠したままで、教会の一員となります。少なくとも指導者にだけは、お知らせすべき重大な罪を知らせず、悔い改めもなく、洗礼を受けての教会生活継続。やがて、その膨大な罪の借金が明らかになります。しかし、教会は、愛と赦しの共同体。その罪の事実を受け止めて、その方を決して排除せず回復に向かわせようと、悔改めを願い労します。

 しかし、財政緊縮策は御免とばかりに、悔改めや謝罪、悔改めに専念するための奉仕や交わりの制限も、受け入れたくないとのわがままぶり。それどころか、愛の故に悔い改めを願う周囲に「教会は愛がない」「あるがままで受け入れるのが愛」との逆切れ悔改めなき赦しの脅迫であります。。残念な罪の事実に心痛めながら、深い愛をもって受け止め、回復のために祈り、労している周囲のクリスチャン達にとっては「おい、おい」であります。

 ギリシャが今後EU脱退するかどうかは不明ですが、こうしたギリシャ風クリスチャンが、その愛と義に満ちた聖書的対処をする教会を脱退してしまうのは、残念ながら、よくあること。罪の無自覚やどうしようもない自己中心、それらに由来する教会の混乱、よく考えてみれば、これは古代ギリシャのコリント教会以来のギリシャ風。古代ギリシャ人はコスモポリタンだったようですから、21世紀の日本にギリシャ風クリスチャンがいても不思議はありません。

 こうしたギリシャ風は時空を超えた普遍的な課題であることを覚えて、聖書が記す使徒たちの葛藤や対処を読み取りながら、そこから指針を得て、向き合って行きたいものです。
| ヤンキー牧師 | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 15:03 | - | - | - | - |
塩谷瞬関連で絶賛のブログ記事紹介

 クリスチャン関連のブログ記事で、すでに「いいね」が30を超えています。これは本ブログではありえない数。私同様、多くのクリスチャンが絶賛しているのでしょう。塩谷瞬関連で、あくまで一般論として「演技性人格」と「未熟型自立女性」の二つの心理を解説してくださっています。

 ブログ「おふぃすふじかけ」より「塩谷瞬の涙、二股騒動の二つの心理
http://fujikake.jugem.jp/?day=20120502


 牧会事例キリスト教界にもこれに該当するケースがあるのでは?逸脱行為や著しい罪など「よほどのこと」を通じて、こうした病理が露呈されたと思われるケースが時にあるのでしょう。私自身が直接関与したケースはもちろん、見聞きしてきた困難な事例の中に該当するのでは?と思えるものも。大量の「いいね」は、教会外だけでなく、教会内で、同じように感じた読者の存在を暗示しているのでしょうか。

 それにしても記事中のこの記述には考えさせられました

演技性性格の人はよほどのことがない限り、その病理性は露呈しないし、むしろ高い評価を得て成功する。やっかいである。」
 牧会や交わりの中で実にやっかいな体験をされた読者もおられ、この記事で合点がいったというクリスチャン読者も少なくないのではと思うのです。

 また、教会では、自立的に見える女性が、「どうしてそんな男性と?」「まさか、彼女がそんなことを」というケースが時に起こります。この記事を拝読し、私はかなり深い納得がいきました。「未熟型自立女性だったと考えると彼女のことは理解ができる」と過去を振り返り思います。真面目ゆえに高学歴で社会進出をして自立的に見える一方で親からの心理的自立ができていないクリスチャン女性というパターンは決して少なくありません。そうした女性がどうかと思える男性にぞっこんになってしまいクリスチャンらしからぬ問題行動に走るケースがあるのも、これで理解ができました。

 この記事は教会内で起こるちょっと理解不可能な事例や、把握しきれないタイプの信仰者の心理を理解するための大きな指針になるのでしょう。私にとっては、過去の事例の納得につながりましたが、むしろ、未来の事例の深い理解やそれに基づく愛の対処のために役立てたいと願う極めて優れたブログ記事だと感激し、ご紹介申し上げました。
 

| ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 08:46 | - | - | - | - |
watotoコンサートツアーのお知らせ
 今年はWATOTOの公演があるそうです。私もかつては名古屋で運営委員させていただき、応援してきた一人です。今年は既に被災地での支援もしてくださったのだとか。6月には、各地でコンサート。今回は、従来のように日本国際飢餓対策機構ではなく、有志がお招きしたと聞いております。

 日本各地でのコンサートツアーの日程等はこちらをご参照ください。
 http://watoto.jp/choir/tour


 これに加えて名古屋での公演も決定との速報を先日いただきまいたので、ご紹介。 
WATOTO名古屋開催決
日時:6月14日(木) 開場18時30分 開演19時00分
場所:名古屋一麦教会


| ヤンキー牧師 | キリスト教会(出来事・情報) | 20:19 | - | - | - | - |
婚活女性の三大注意事項〜旅行、習い事、ペット

 あるクリスチャン男性に教えていただいたのですが、結婚を願いつつ、適わない女性のしている三つのこと。それは「旅行、習い事、ペット」なのだとか。逆に、この三つばかりをしている結婚希望の女性は、結婚できない傾向が強いそうです。どうも、「卵が先か鶏が先か」と同様、「三つをする女性が結婚できず」でもあり「結婚できない女性がこの三つをする」ということらしいです。

 これは分かる気がします。結婚を願いつつも、本気で具体的な婚活にお金と時間を投資しなければ、この三つに投資するのでしょう。また、本来、結婚によって満たされるはずの寂しさや空しさを、別の手段で満たそうとすれば、気晴らしのための旅行、自己実現のための習い事、孤独を癒すペットに代理機能を果たさせるのも必然です。

 さらには、こうした代理機能に走る程、本来願っている人生のパートナーを求める気持ちも弱まり、具体的な努力への情熱も今ひとつとなり、実際的にも時間とお金を投資しなくなります。これでは悪循環になってしまうわけです。三つのどれ一つ、それ自体が悪いわけではありません。しかし、それが、本来の目標の代理機能となってしまうと問題です。

 この悪循環から脱出するには、旅行、習い事、ペットという代理機能を捨てて、気力も時間もお金も、婚活に注ぎ込むに尽きます。

 そこで、ふと考えたのが、聖なる婚活に励むクリスチャン女性のことであります。「婚活系クリスチャン女子にとっても、旅行、習い事、ペットがあるのでは?」ということ。

 やはり、婚活系クリスチャン女性も、本来、夫によって満たすべき寂しさと空しさを、神様からの恵みや神の愛の実感によって満たそうとします。かくして旅行ならぬ諸集会出席となります。一般の女性が恐れからか、焦りからか、直接婚活に向かわず、先に自分を向上させようと、自分磨きとしての習い事に走るように、クリスチャン女性も学びやセミナーに励みます。女性の多くがペットを代理機能とするように、とりあえずの寂しさを解消するために同性である姉妹と親しく交わりを持ちます。

 そのように一般婚活女性の三大注意事項が「旅行、習い事、ペット」なら、婚活系クリスチャン女子の三大注意事項は、「諸集会出席、学びセミナー、姉妹との交わり」となるでしょうか?三つのどれもが、それ自体はよいものばかり。でも、この三つに向かっていく動機が、具体的な婚活からの逃避であっては、どうかと思うのです。あるいは本来結婚して、夫によって満たされるべき愛情の空白部分を神様と同性の姉妹によって満たそうとするなら、それも御心とは異なると思うのです。

 「旅行、習い事、ペット」であれ、「諸集会出席、学びセミナー、姉妹との交わり」であれ、問われるのは、その動機。代理機能ではないか?逃避行動ではないか?本当に神様が自分にして欲しい願っていることとは異なるのでは?

 私たち人間の罪深さは、神様からの様々な素晴らしい恵みでさえ、本来為すべきことの代理や逃避目的でしかねないことでしょう。地雷踏み覚悟で申し上げますが、心当たりのある読者の方は真剣に自己検証をなさっていただきたいもの。自分が本当に願うこと、神様が自分に願っておられることとして結婚に向き合っていただければ感謝。

 結婚を願われる婚活系クリスチャン女性に皆様には、どうか、本気で寂しさに向き合い、結婚によってしか満たされない空白部分をしっかりと見つめ代理機能に逃げることなく、勇気をもってかつ素直に具体的に「聖なる婚活」を開始されますよう心よりお勧め申し上げます。素直に、そして適切に、思いと祈りと時間とお金をそこに注ぎ込まれることだと思います。

| ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 15:48 | - | - | - | - |
宮本慎也選手に学ぶ「超二流牧師のススメ」
 先日は、ヤクルトの宮本選手が2000本安打を達成。ここまでの活躍ができたのは、野村監督の指導あってのことと、当人も周囲も認めているようです。特に宮本選手の野球人生を変えたのは、この言葉だそうです。

 「超一流でなく、超二流になれ

 宮本選手は守備が評価されて入団された選手、決して、ドラフトの目玉と言われるような選手ではありませんでした。しかし、入団後のノムさんのアドバイスに従っての意識変化と努力によって、今回の偉業を達成したようです。

 「超二流選手」の名球会入り。私は日ハムの稲葉選手や中日の山本昌投手も「超二流の名球会選手」だと思います。彼らを上回る能力を持つ四番打者やエースら一流選手の多くは、名球会選手になることなく、現役を引退しています。競争に生き残り長く球界で活躍し、数字を重ねていけるのは「普通の一流」より、「超二流」なのでしょう。

 そこで、考えたこと、それは、

牧師は一流でなく、超二流がいいのでは?」ということ。

 もちろんここでの「一流」「二流」という言葉は、神様の目からの評価ではありません。世俗的な業績主義や産業的発想からの評価として使っている言葉です。

 今どきの選手はいくら優れていても、かつての偉大な選手のようにはなれません。打者なら、王、長島、張本、野村、投手なら金田や稲尾のようにはなれないのです。そうした偉大な選手は、ある時代の産物だからです。現代は、イチローやダルビッシュになれば、超一流なのです。

 同じように、戦後のキリスト教会をリードされてきた大御所のようになることを、神様は今日の牧師に期待をされているでしょうか?野球のルールや本質は変りませんが、野球が大きく変化しているように、牧師の使命や本質は変らないでしょうが、あり方は大きく変化を強いられています。

 モーセの後継者であるヨシュアも、エリヤの後継者エリシャも、師と比較するなら、「超二流」と言えるのでは?ヨシュアとエリシャを超二流リーダーと評したら、聖書的反論も続出でしょうか?いずれにせよ、21世紀の牧師が、戦後のリーダーをモデルとして、機械的に超一流を目指すのはどうかと思います。
 
 また、すべての牧師がイチローやダルビッシュのような活躍をすることを、神様から期待されているとは私は思えません。しかし、多くの牧師に対して神様は、「宮本選手のように長く忠実に仕えて欲しい」と願っておられるのでは?と私は聖書的根拠もなく勝手に考えています。

 一世代で数百人規模の教会にした、優れた説教者として著名、神学面での優れた実績などが、世俗的な評価基準で言えば、一流と評価されるのでしょう。野球で言えば、イチロー、ダルビシュであります。しかし、ほとんどの牧師は神様からそうした期待をされていないし、そのような賜物も付与されていないのでは?と考えているのです。スタメン二番のつなぎ役、先発四番手や試合を作る中継ぎ投手を期待されていることも多いのでは?それは残念なことでしょうか?いいえ、そうした選手こそ、神様にとっては、なくてはならない戦力なのです。

 たとえば、都市部で50人程度、地方で数十人規模の教会で、自立した信徒を育て、着実で健全な教会形成と地域宣教を長年忠実に継続できたなら、どうでしょう?

 それは「人の目には超二流、神の目には超一流」ではないかと私は思うのです。

 「人に一流と評価され、成功者と見られることを願わず、神様が願うように仕えていく」

 それが伝道者として歩み出した献身であったはず。だとしたら、この世を後にして、再臨の主の前で、宮本選手や稲葉選手のように、表彰していただければ、それが本望のはず。

 世俗的な業績主義、産業的思考、成功者志向などが、教職者を本来の献身から逸脱させ、教会形成を不健全なものとしているとの指摘、見解をよく耳にします。教団や団体の中でも、そうした基準で教職者の力関係や心理的優劣が決まっているとの批判も多々お聞きします。

 決して縮み志向敗者の論理、安易な現状肯定、同業者内の慰労目的などで、この記事を書いているのではありません。献身者たる牧師が、長年の働きの中で、忘れてしまいがちなものを、私自身、宮本選手に対しての野村監督の言葉から、再確認させていただきました。余計なお世話でしょうが、お分かちさせていただきました。

超一流でなく、超二流になれ

 これは今日の宮本選手を作り上げた決定的な言葉。

 そして、多くの牧師にとっては、本来の献身を想起させる言葉でもあるのでは?

 (信徒の方もご自分の使命や職業に当てはめてお読みいただければ感謝.また、所属教会の牧師に画一的に一流を要求されませんよう願います)
| ヤンキー牧師 | 権威・リーダーシップ、牧師と信徒 | 13:35 | - | - | - | - |
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