命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
やはり、時代は「たいやきくん」
 一応、労働疎外の範疇だろうということで、人権問題としての記事。今年の3月に書いた「泳げたいやきくん!」の記事が、ある方(一般の方)のブログにリンクされているようです。自分で読み返してみて、時代にマッチしているなーと思い、改めてご紹介。「泳げ!たいやきくん」は、「明るく歌う蟹工船」かも知れません。

 以下の記事です。
http://blog.chiisana.org/?eid=650191
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
オバマ大統領候補と差別問題
 本日は善通寺のホテルから二つ続けての人権ネタ

 昨夜は、四国学院大の学長、副学長、宗教主事のお三方と会食。勉強しまくりの約二時間でした。学長さんは、梶原先生(日本のキング牧師研究の第一人者)の著書に感銘を受け、三年半も黒人社会で生活し黒人教会で過ごされた方。既にお亡くなりですが、奥様もアメリカ黒人。初めてお聞きするようなお話も多くありました。

 一つだけお分ちを。アメリカ大統領選について話題になった際のこと。私が「アメリカでは永久に女性と黒人が大統領になることはないと妄信しておりました」と申し上げると。

 学長さん「いいえ、それは正しい認識だと思います。私も信じられません。アメリカは驚くほど変わったと思います」と。

 続いて学長が話された内容にはなるほど納得。

 オバマ氏が支持される理由は、母親が白人だから、産みの父親(現在の父親は義父)もアフリカ系だが、アメリカ黒人でないから。つまりオバマ氏は「アメリカ黒人奴隷の末裔でないからだ」という見解。もし、オバマ氏がアメリカ黒人の奴隷の末裔であるなら、白人の罪悪感を刺激し、潜在的な差別意識も働いてしまい、あれだけの支持はないだろうとのこと。もちろん、それでも学長はアメリカ社会の変化を驚いておられました。

 私自身物事を単純に楽観的に考えすぎていた事を反省。アメリカ社会と人種問題をもう一歩深く教えていただけたような気がします。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 07:16 | comments(7) | trackbacks(0) | - | - |
日本社会、管理の沙汰も金次第
 一昨日はWATOTOコンサートの準備をしながらも、休憩時間には、ブラックゴスペル関係のクリスチャン男性と日本社会や日本国民のあり方のお話。

 考えることを放棄しつつある日本社会は動物園のようだとたとえる彼。なるほど、よく考えもせず、あちこちで殺し合いやいじめ、交尾を始めるのは、動物園に似ていないでもないと答える私。

 彼は、敗戦でによって天皇制という絶対権威による上からの支配は崩壊し、安保闘争も制圧され、下からの運動、大衆の力は奪われ、日本は、自らの頭で考えることを放棄し、管理社会化していったのだと分析します。

 私もこれには同意。日本は極端な管理社会であり、国民は主体性を失い依存的、自分で考え判断、行動し、その責任は自らが負うという自立した大人として生きられないようにされていると思うと応答。

 次に彼が語った事柄が今回のブログ記事のテーマ。
お金があるうちはそれもできたのでしょうが、お金がなくなったら、自分達でやってねってことになっていますよねー」

 そうか!これには気が付かなかったです。そうかもしれません。経済成長期には、豊かな生活や繁栄というニンジンと引き換えに、自らを管理体制に引き渡すような面があったのではないでしょうか?管理され、働いてさえいれば、物質的には豊かさを享受。ある意味、家畜的なあり方を命じられ、さらにそこから逃れることは敗北を意味するようなシステムが日本社会に構築されてきたのでは?

 しかし、昨今はニンジン、餌も不足気味。お金がないと管理も困難です。「これからは自分でやりなさい。自らの頭で考え判断し、責任を負いなさい」と言われて、「今さらそんなこと」と戸惑ってたり、「それはないだろう!」と怒ったり、「大人になりたくない」とわがままを言っているのが日本社会なのかも?

 何でも、小林多喜二の「蟹工船」が、近年は飛躍的に売り上げを伸ばしているとか。均一的な社会は管理しやすいもの。しかし、階級社会化するれば、管理はいよいよ困難に。

 このことは、管理社会や労働疎外といったものに、丸め込まれず、正当な批判を出来る世代が登場しつつあることを意味して意しているのでしょうか?それとも、そうした発想が無思慮な怒りや暴力という形で現われてくるのでしょうか?

 管理社会のはしごをはずしたかのような日本社会。新たな管理の手法で、今後も管理社会は続くのか?それとも、管理は弱まり新たなあり方に移行していくのでしょうか?そこで、浮かんだのが、今日のタイトル。

日本社会、管理の沙汰も金次第

 何か、国家や社会のあり方まで金次第なのが、悲しいです。せめて、政治家次第、できれば国民次第であって欲しいものです。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
太郎物語(3)
 一昨日の麻生太郎氏の野中氏への差別発言に関して貴重なコメントをいただきました。発言が事実でない可能性もあるようなので、一昨日の記事は保留とさせていただきます。無責任な記事となってしまったことを反省しています。

 ただ、麻生太郎氏の問題発言の数々からは、人権意識の欠落が指摘されているのは事実。その父親にも筆舌に尽くせぬ人権侵害があったのも事実。そこから起こってくる問題意識はあってしかるべきでしょう。

 このブログの読者はブラックゴスペルの関係者が一割以上だと推測しています。日本に住む私たちは、アメリカという国家が、アフリカから強制的に人間を連行連行して、奴隷として労働力を確保をしたことを知っています。そして、それが、今日に至るまで深刻な人権差別問題を生み出してきたことを知っています。

 それに対して日本は植民地である朝鮮半島や中国から強制連行あるいは、強制徴用(見解の相違はあるでしょうが)によって、労働力を確保し、アメリカの黒人奴隷に相当するような極めて過酷な労働をさせていたこと、極めて熾烈な労働疎外や人権侵害が為されてきた事実はあまり知られていません。

 日本の社会で生活しながら、アメリカがアフリカにしたことは当然のように取り上げられ、周知の事実であり、一方、自国が隣国にしたことを知らずに日々を過ごしていけるというのは実に不思議なこと。そうした事実に目を向けさせないがどこかに働いていて、そうした事実を知らぬまま、日々の生活が送れるように社会のシステムが構築されているとしか、私は思えません。

 私はキリスト者が現実の日本の歴史と社会の中で生きるとき、こうしたことに無知であってはならないと思っています。それどころか、自国の過去の罪に対して責任意識を持つのが当然だと考えています。日本社会では、積極的に関心を持たない限りはこうした情報に触れることが困難です。知らなければ責任意識も悔い改めもありません。ということは回復もないわけです

 私自身ブラックゴスペルに関わるまでは、「いのちの大切さ」を訴えながらも、こうした人権差別問題には、かなり無関心の伝道者でした。そのことを今は、激しく恥じています

 「キリストに似る者となる」「キリストのように生きる」。その中の一つはキリストが被差別者、社会的弱者と交わり、それらの側に立って宣教をされた歩みに私たちが倣うことはないかと思うのです。そうした歩みが「最も小さい者たちのひとりにしたこと」=「キリスト」にしたこととして最終的かつ永続的評価が為されるのでしょう。その意味で、日本の社会は、在日差別、部落差別にしろ、中絶問題にしろ、「小さな者たち」を見させない社会見ないで平安な気持ち(もちろん偽の平安)で生きられる社会を形成しているように思えてなりません。もしかしたら、日本は一億総偽装平安社会なのかも。

 勉強不足、知識不足で拙い記事ですが、日本社会に存在しながら黙殺されている「最も小さな者たち」の存在を知り、関心を持ち、そこから日本社会に生きるキリスト者としての責任ある歩みを始めていただけたらと願ってやみません。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 14:27 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - |
太郎物語(2)
  麻生太郎氏の父親は麻生太賀吉という方。代々、炭鉱を営み、後にセメント会社に移行した事業家。妻は、吉田茂元首相の三女。カトリック信徒で、その影響でしょうか?吉田茂氏も死の間際には洗礼を受けたと何かで読んだ記憶があります。

 実は「麻生炭鉱」という言葉をgoogleで検索すると自動的に「麻生炭鉱 強制連行」という検索項目が出てきます。これには私もびっくり。「麻生炭鉱」と「強制連行」は関連したものと見られているようです。

 私自身の世代は「強制連行」を当然の史実として受け止めてきました。近年は「そうした事実がなかった」「捏造にすぎない」との見解も強く、かなりの論争になっている様子。この件に関しては、クリスチャンの中でも見解が分かれるようで、私自身も正直戸惑いの中にいます。

 ただ、強制連行の有無に関係なく、麻生炭鉱が、莫大な数の朝鮮人と被差別部落出身者を労働力とし、特別過酷で危険な労働条件のもとで、働かせていたのは事実のようです。監視され、暴力で脅されながら、人間扱いされない様子は、まさに奴隷労働と呼んでも構わないものでしょう。(一部では賃金不払いも)

 劣悪な労働に耐えかねて起きた労働争議を麻生炭鉱が、特高、警察、暴力団まで使って制圧したのは、有名な話。ネットでもこのお話は多く記されています。つまり、朝鮮人と被差別部落出身者に対する差別的な抑圧や搾取などにより得た富が、吉田茂氏の政治活動を支え、麻生家の繁栄をもたらしたという構図は間違いなさそう。

 かなり中立的、客観的な視点で書かれているWikipediaの「麻生太賀吉」の「麻生炭鉱」という項目をご参照下さい。ネット上では、この件について様々な立場からの情報がありますので、関心のある方はどうぞ。

 親と子は別人格ですから、父親の所業を理由に麻生太郎氏を批判するつもりはありません。しかし、麻生家の一員として、あるいは一カトリック信徒として過去の過ちを認め、人権尊重の立場で活動をしているとは思えないのは残念でなりません。

 一人の政治家をマスコミが伝えるイメージや自分なりの印象で判断することがどんなに危険なことかが分かります。野中氏も同様でしょうが、一人の政治家の背景には、時にはマスコミが伝えない重い差別の歴史があるのです。

 今回は、こうした情報を知っていただき、重い事実に向き合って欲しいと願いこの記事を書きました。明日はこうしたことについて、私なりの思いや考えを記します。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
太郎物語(1)
 昨日は15日ぶりに1000アクセスを下回り、972アクセス。ようやく落ち着いてグロガーできそうです。さて、久々の人権ネタです。太郎物語といってもマンガやテレビドラマではありません。山田太郎ではなく、麻生太郎のお話。「生れはいいけど育ちが悪い」と自称し、オタクで、失言が多く、そのキャラクターは結構国民に人気あるあの太郎さんです。今日からは麻生家と人権問題の深い関わりを少しだけ紹介するシリーズです。

 魚住昭著「野中広務 差別と権力」(講談社)という書物をある牧師がブログで紹介しておられます。その中で、麻生太郎氏の暴言とそれに政治生命の最期をかけて抗議する野中広務氏の様子が描かれています。私自身、政治家関連の本で最も考えさせられたのはこの書物。

 日本の人権問題を語るときに決してはずせない事件ですが、私が紹介する前にすでにご紹介くださったので、詳しくはこちらの1月16日の記事をご覧下さい。(このブログには、フランシス・シェーファーについての日本ではあまり知られていない極めて貴重な情報と考察がいくつもあります。アメリカのプロライフ運動とも一定の関連もあるので、ご一読をおすすめします)

 ブログ「晴耕雨読の日々」より1月16日「この国の政治家・・」

 要は麻生太郎氏が「被差別部落出身者」であることを理由に、野中氏の総裁就任を阻止したということでしょう。このブロガー牧師がご指摘のように、麻生氏が福田氏に負けたのは、この暴言の影響があったのだと私も考えています。(日本の政治の裏に部落問題ありです。)

 一国の大臣であり、総裁候補である人物がこうした人権意識なのですからトホホです。しかも、麻生家は代々カトリック信徒で太郎氏も一応カトリックのクリスチャンということになっているので・・・・。いよいよ複雑な心境。

 そして、麻生氏のこうした人権意識は、麻生氏個人のレベルの問題ではなさそうです。実は麻生家の歴史と深く関係があると思われるのです。明日はそのことを少し紹介。
 
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 08:48 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
鳥居みゆき人権問題?がトップの理由
 今月は鳥居みゆきの記事が独走でアクセス数トップ(2位の三倍近く!)。その理由は、検索ではないか?と思い、試行。納得。

 「鳥居みゆき 人権問題」でGOOGLE検索すると、本ブログの記事が1位と2位。「鳥居みゆき 差別」ですと10位にランク。さらに「鳥居みゆき 統合失調症」ですと12位。

 そういうわけで、一般の方々から、かなりのアクセスをいただいているようで感謝感謝。こうしたことを契機に一人でも本ブログの愛読者が増えれば、最高の宣教でしょう。本ブログのメッセージがこうして多くの方に届くのも愛読者の皆様のおかげ。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 09:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今月も鳥居みゆきの記事がトップ?
 ブログを書いていて、ある程度、読者のニーズや関心は読めるものですが、まったく読めないのが「鳥居みゆき」。先月に続いて今月もアクセストップです。何でやねん?

 どうも、今回は読者の人権意識の高さだけではなさそうです。鳥居みゆき自体の注目度のせいか?そこでウィキペディアで「鳥居みゆき」を調べてみると、本当に危なさを感じさせる生育過程がわかります。意外なことはアコムのイメージガールのオーディションに決勝まで残り、あの小野真弓に負けたこと。今はその美形も台無しの破滅的芸風で最近は芸人としてもかなりの人気を集めているようですね。

 先日、神戸を訪ねた際にコンビニでブログの人権ネタにと「放送禁止作品」という書物を購入。放送禁止になったテレビ番組の中には、精神疾患のために犯罪行為や逸脱行為に走るという設定が抗議を受けたり、自主規制したりという事例が多くありました。

 故藤山寛美さんは、自らが演じる「アホ」が知的障害者を傷つけているのではと随分悩まれたそうです。だとしたら、ドストエフスキーの「白痴」はタイトル自体が出版禁止となるのでしょうか?ロックの名曲、キングクリムゾンの「21世紀の精神異常者」も昨今は「21世紀のスキッゾイドマン」と邦題は変更。

 明らかに差別的意図のものは論外。さらに差別助長や精神疾患への誤解を招くものには配慮は必要でしょう。しかし、表現の自由を侵食しかねないとう危惧もぬぐいえません。倫理的な是非を別にすれば、文学にしろ音楽にしろ、狂気はそれらが描く主要なテーマのの一つですから。

 藤山寛美さんは「アホ」で笑わせる自体が目的ではありませんでした。「アホ」は正常な人間達の偽善や愚かさを、際立たせるための設定でした。一方、鳥居みゆきの芸の危うさは、狂気を演じてそれ自体を笑いにしていることです。そして、その狂気は健康な人間にも潜む「普遍的な狂気」ではなく、明らかに「精神疾患者の症状としての狂気」であることを、私は疑問視してしまうわけです。実際にあの「まさ子」というキャラは多重人格の一つという設定。これは日本社会では「統合失調症」なら問題視されるが、「多重人格」なら許容されるという読みがあるのでは?とかなり穿った見方をしてしまう私です。

 今回の記事が、精神疾患や狂気を描くことに伴う人権侵害と表現の自由の境界線を考えるヒントになればと願います。いったいなぜ、ここまでのアクセスが?と思うのですが、キリスト教会とは無縁の方々が少しでも「鳥居みゆき」で検索して、このブログをご覧いただければ、それは感謝なことでしょう。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 08:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人類の祭典のための人権侵害?
 昨日の朝は、神戸は三宮のホテルで、朝のテレビを視聴。北京オリンピックに関する意見を求められたコメンテーターの一人が、会場建設にまつわる人権侵害について語っていました。

 主な内容は二つ。まずは、北京オリンピックに間に合うようにかなり強引な工事をしており、その工事の中で10名が死亡しているとか。労働管理や人権意識に大きな疑問。そもそも会場を土地取得のために強引な立ち退きが行われ、それに反対した人権運動家は逮捕され、現在も強制労働中とか。

 人類の祭典のために人権侵害?こんな本末転倒はないでしょう。政治とオリンピックの問題に関してはいろいろな見解があるでしょう。しかし、人権については、オリンピックの性質を考えるなら、政治以上に大きな問題といわざるを得ません。ボイコット云々ではなく、まずは、事実解明がなされること。さらに事実であれば、国際世論と国際オリンピック委員会の働きかけが望まれます。中国政府にとっては「何のためのオリンピック」であるのか?こうした人権侵害が実在するなら、そんなことを考えざるを得ませんね。

| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 07:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
自己問題を他者への呪いに転化する現代人
 香山リカ著「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」から、一つだけ追加。

 中村雅彦という心理学者がいます。トランスパーソナル心理学という特殊な分野の研究者で、自ら呪術師経験も持つスピリチュアルな面のある方です。香山さんは、安易に「他者への呪い」に向かう昨今のスピリチュアル状況について中村氏が新聞インタビューに答えた発言を引用しています。

「自分の負の部分が認められず、それを外部に投影しているようだ。自己と向き合う姿勢がない。オウム事件の頃よりも、アイデンティティーが拡散し、自我が脆弱になりつつあるのではないか」

 どうも単に自分の悪い面を認めず、社会や他者のせいにするといった未熟な責任転嫁や幼稚な責任逃避とは異なる問題がおきているようですね。スピリチュアルの世界の呪いとは異なるでしょうが、昨今の日本社会では、「現代版の呪い」をよく見聞きするようになったのでは?

 子どもに「死ね」と日常的に言う親たち、その結果、「死ね」と平気で他者に言える子どもたち。日本社会に時に起こるバッシングの中には単なる責任追及とは異なるまさに「呪い」に近いものを感じてしまうのはきっと私だけではないでしょう。

 これらは、中村氏が指摘する「自己の負の部分を認められず、それを外部に投影している」ことなのでは?アイデンティティーがいよいよ拡散し、自己と向き合うこともできないがゆえに方向性が他者への呪いに向かうということでしょうか。自分の罪深さや弱さを直視できない、あるいは直視する苦痛から無意識に逃避している現代人。それだけでも問題なのに、それを他者への呪いに転化しているとは!スピリチュアルはそうした現代人のパーソナリティーやニーズに合致して、一産業として繁栄していると言えるのでは?

 香山さんは自我が脆弱になったので、出家や修行ではなく、より軽いものに移ったのでは?オウムの頃に比べれば真剣度と危険度は下がったが、世間への浸透度は桁外れに上がっていると主張しています。

 自我がかなり脆弱化した日本の大衆、つくづく軽い呪いが当たり前となり、横行するような日本社会にならないことをは願うばかり。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 18:32 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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